愚痴ってもいいのよ

大黒柱妻のメンタル術

あなたは、誰かに嫌なことを言われて傷ついたことはありますか?

モヤモヤしたり、怒りが湧いてきたりしたことは?

べつにこちらを傷つけたり怒らせたりするつもりはなかったのだろうけど、ちょっとした一言や行動にグサッときたり、モヤモヤしたり。

こんな些細なことで傷ついたり怒ったりするなんて、私の心が狭いから?人間が出来てないから?器が小さいから・・・?

そう思ったら自分が劣っているように感じて、こんなんじゃいけない、大人にならなきゃと、つらい気持ちやモヤモヤ・怒りを抑え、平気なふりをしてやり過ごす。

たぶん、世の多くの方がそういう経験をたくさんしてきたし、しているし、これからも生きている限りたくさん経験するのだろうと思います。(私もです)

 

でも世の先達からヒントを色々もらう中で最近思うのは、負の感情が沸くのは自然なことなのだから、自分の器が小さいとか人間が出来ていないとか言って、自分を卑下することはないんじゃないかな、ということです。

 

感情に振り回されず、ザッと流して大人になればいい

 

そういう対処法もあるかと思います。

でも、これってなんだか冷たく突き放したような感じに聞こえませんか。

自分の心を鈍感に麻痺させて、本当は血が流れて骨も折れて痛いのに、こんなかすり傷、全然痛くないから平気よ、と言うのと同じように感じてしまいます。

ザッと流したつもりでも、本当に一滴も残らずに流しきれる人はそうそういないんじゃないかと思います。

それこそ、悟りを開いた人(開いたように見える人ではなく、本当に開いた人)でなければ、その境地にたどり着くことはできないのでは?と私は思います。

 

だから、嫌な気持ちになった、傷ついた、つらい、モヤモヤする、怒りが沸いてくる、嫉妬してしまう・・・そういう負の感情が沸き起こってくることは、私たち凡人には自然のことだと素直に受け止めていいのではと思います。

私も、誰かのちょっとした一言に傷ついたり、モヤモヤしたりすることはしょっちゅうあります。

自分にはないものを持つ人には、じつは嫉妬もしてしまいます(^_^;)

そういう時は平気なふりをしていても、心の中はドロドロです。

だからあなただけではないですよ、私も同じなので安心してください。

 

そして、時には愚痴ってもいいよね、と思います。

愚痴ることは、こころの健康を保つためには必要なことだと思うんです。

前向きな感情、幸せで楽しい感情と同じように、ちょっと嫌だけど自分の負の感情にも向き合って、受け止めること。

本当は胸にグサッときたり、モヤモヤイライラしたのに、大人にならなきゃ・・・となんでもないかのように平気なふりをするのは、その気持ちに重い蓋をして、鎖を何重にもかけて閉じ込めることと同じだと思うんです。

もちろん、いらぬ喧嘩やいざこざを避けるために、その場ではぐっとこらえることは私たちの処世術・生きる知恵なので、そうした方が自分のためになります。

でも、そこでこらえて持ち帰った気持ちをそのままにするのではなくて、自分のこころに帰ってきた時に、ちゃんと鎖を解いて蓋を開けて、話を聞いてあげること。

話を聞くってどういうことかというと、たとえば気のおける友人や家族に聞いてもらう、聞いてもらえる人が身近にいないのなら、ノートなどに思い切り書いてみるとか。(誰も読まないのだから、汚い言葉を使ってもいいのです。書き終わったら破いて捨ててしまえば証拠隠滅です。)

もちろん、このブログにコメントくださるのも大歓迎です(*^^*)

絵や芸術などの趣味がある方なら、そういったもので表現するのも良い、と何かで見聞きしたことがあります。それも素敵ですね。

 

そうやってあなたの負の感情を受け止めて、話を聞いて、抱きしめて、自分を大切にしてあげましょう。

あなたの心がほんの少しでも軽くなりますように。

 

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